Ezio Redeghieri
Inno Mandolinistico
"Trafono del Sempione"
E.レデギエリ
マンドリン讃歌
「シンプロン・トンネル」
E.レデギエリの詳しい経歴は殆どわかって
いません。“Il Plettro”誌1913年第24号に
肖像画が掲載された際に、ブリュッセルの
作曲家と書かれていますが、判明している
のは、スイス南部のティツィーノ州
ロカルノに在住していた事くらいです。
作品の中で最も著名と考えられるのは
1910年、トリノで“Lo Spettacolo”誌が
主催したオペレッタの作曲コンクールに
おいて、A.アマデイ、S.ファルボに次ぐ
第3位に入賞している事でしょう。
本コンクールはG.ドロヴェッティ の
「王女の物語」という台本に対して作曲する
という興味深いものでした。
マンドリン作品は本作を含めて7曲しか
判明しておらず、出版も1905年から1913年
に集中しており、その後の消息は不明です。
マンドリン讃歌「シンプロン・トンネル」は
1906年の“Il Plettro”第1回作曲コンクール・
マンドリン讃歌の部でA.カッペルレッティ
のマンドリン讃歌「フローラ」と並び
第2位相当の銀牌を受賞した作品ですが、
掲載号が日本に輸入される事がなかった為、
石村隆行氏によって6部合奏に編まれて
紹介されるまで知られていなかった作品です。
「シンプロン・トンネル」は1906年に開通
したアルプス山脈を貫いてスイスのブリーク
からイタリアのドモドッソラを結ぶ当時
世界最長の鉄道トンネルです。
開通までに7年半を要するという大事業で、
同年ミラノでは「シンプロン・トンネル」
の開通を記念してミラノ万博が
開催されました。
苦難の工期を象徴するかのように楽譜の
冒頭には「人類の力と英知に寄せて」
と書かれており、「フローラ」と同位の
評価を得た事からも判る通り、堂々とした
実に輝かしい作品となっています。
実は「シンプロン・トンネル」と題された
楽曲はマンドリンに限らず他にもあり、
このトンネルの開通が祝祭的な出来事で
あった事が伺われます。
No.20
1905年、ローディで開催された国際マンドリンコンクールの様子。1列目右端がA.ヴィツァーリ、その左横がレデギエリ。ムニエル、グレキ、モルラッキ、ガルガーノ等錚々たるメンバーの姿が伺える。